カテゴリ:想い出話( 9 )

少しずつ


昔、自分が嫌いだった。
自分が自分として生きていない気がしてならなかった。
したい事をする事も、したい事をしたいと言う事さえできなかった。
ただただ黙って言われた通りに、大人たちが示す『最善』に向かって進む事しかできなかった。
本当に、自分が嫌いだった。

あれから十何年もの時が流れた。

今でも時々自分が嫌い。
でも、今では時々自分が好き。
したい事をする。
したい事をしたいと言える。
そんな自分にやっとなれた。
これからも少しずつ自分らしさを出していけたら……。
少しずつ、自分の中の『好き』の気持ちを増やしていけたら……。
いつか、もっともっと自分の事を好きになる。
少しずつ、自分の事を好きになる。

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カメラマン : やじさん
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by id-from-bc | 2010-08-20 23:56 | 想い出話

ジャンプ!


『ジャンプ』――。
と言っても、少年漫画雑誌ではなく。
『飛ぶ』という意味の『ジャンプ』な訳で……。


今日は『成人の日』だった。
いわゆる『成人式を行う日』だった。
正直ね、
「今日は成人式の日だよ」
って言われてもピンと来ない訳さ。
というのも、私の成人式は随分昔の事だから(笑)記憶もかなりあやふやだし、当時は成人式と言ったら『1月15日』って相場が決まってたからねぇ、ホント、ピンと来ない訳さ。
思えばあの日は振袖を着て、友人と一緒に彼女の父上様が運転する車で式場に送ってもらったっけ……。
そうそう、思えばあの日、私は二十歳だった訳さ。
初々しかったかどうかは謎だけど、若かった訳さ。
あれからピーッ年。 ←あえて伏字。
私も年をくったもんだよ。
あの頃と比べたら、確実に年だけはくっちゃった訳よ。
『中身は?』って聞かれたら、とりあえず苦し紛れの笑顔を浮かべるしかない訳よ。

ホント、重ねてきた年に見合うくらい中身が成長してないのは何でなんだろうねぇ?

ともあれ、ちょうどいい機会だから(?)、当時の事を思い出してみた訳さ。
するとね、ある二つのコメントを思い出した訳さ。

『人生は『ホップ・ステップ・ジャンプ』。今までは人生の助走でした。これからは自分の力でより広い世界へとジャンプ……飛翔していって下さい』

『みなさんは成人し、これからは自分自身に責任を持って生きていく事になります。しっかりと地に足をつけて、これからの人生を歩んでいって下さい』

どっちのコメントも誰のだったか覚えてないし、直に聞いたものなのかメディアから得たものなのかは忘れてしまったんだけど……

『飛ぶ』の? 『歩く』の? ねぇ、どっち?

という根性曲がりの疑問を抱いた事から推測するに、恐らく同時期に聞いたものだと思う。
飛ぼうと歩こうと目指す先が『前』ならどちらも同じ事だと今なら思うんだけどね、当時は(も?)随分とひねてたもんだよ。
とりあえず思う事は、飛ぶのにも歩くのにも時として勇気が必要だって事。
そして、『前』を目指すのは誰の為でもなく自分の為だって事。
『現状維持』と『前進放棄』は違うという事。
年の功か、その3つは頭では分かるようになったつもり。
まだまだ心は未熟なんだけどね、
「自分のペースででも、ちょっとずつ成長していけたらなぁ……」
と今は思う。

いつかは絶対前に進むよ。
今よりずっと前の方にね。
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by id-from-bc | 2007-01-08 23:50 | 想い出話

今年の四大ニュース


今年も残す所後数分な訳で……。
『思えば今年も色々あったなぁ』と振り返ってみたりして。
という訳で、『喜怒哀楽』に引っ掛けた(?)私の今年の四大ニュース(?)は以下の通り。

『喜』。
ついに(?)GIGでコスプレ解禁♪
許されるならば、これからも邁進あるのみ。 ←?

『怒』……について話せば長くなるので(笑)、代打(?)として『どビックリ』。
骨折しちゃった……。
その流れで(?)会社も辞めちゃった……。

『哀』。
もちろん、『ムーンライトブレイクR・C・T』の終了が決定した事。
本当に大好きな番組だったからこそ、何をおいてもこのニュースはそれに尽きると思う訳で。

『楽』。
来年もGIGの一員としてトワサタをお届けできる事。
GIGメンバーやたくさんのリスナーさんに支えられて私はトワサタにいる事ができるのだと思います。
この場をお借りして……本当にありがとうございました。
そして、来年も宜しくお願いします。


来年も、みなさんと繋がっていられる事を切に祈って。
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by id-from-bc | 2006-12-31 23:39 | 想い出話

命日


昔、大好きな人がいた。
何年もその人の事をずっと見ていた。
だから『付き合って下さい』と言われた時は本当にうれしくてただただうれしくて、電話を切った後も私はずっとその幸せを噛み締めていた。
それから一年も経たない内に、その人からメールが送られてきた。
『俺、新しい彼女ができたんやけどどうしたらいいと思う?』


別れた。


週に一度は会える状況にはあったけど、思えば二人きりで会ったのは三回だけ。
定食とカツ丼とお好み焼きを一緒に食べに行った、ただそれだけ。
お互いの生活リズムが違っていた。
会えないくらいで冷めるような気持ちではなかった。
私だけが、会えないくらいで冷めるような気持ちではなかった。
『恋する気持ち』の歯車が、私と彼とでは違っていた。
ただそれだけ。
本当にただそれだけの事。
だけどそれが全てだった。


『その日』から私は何ヶ月も泣いた。
毎晩一人でいっぱい泣いた。
だけど昼間は普通に過ごした。
ある日、私に友人が言った。
『無理をしなくていい』と。
『その代わり落ちるだけ落ちたら、ゆっくりでいいから浮上して来い』と言ってくれた。
人前で泣きそうになった。
少し気分が楽になった。


私は思う。
次に恋をして誰かと付き合う時にはきちんと付き合おうと。
その恋が成就しても終わっても悔いが残らないように、きちんと付き合おうと。
まずは『会いたい』って言ってみよう。
甘えたりもしてみよう。
わがままだって言ってみよう。
『自分の気持ち』を分かってもらおう。
何より『私』を知ってもらおう。
お互いに、無理がない程度に……。
そして私も『その人』の事をたくさん知りたい。



今日は私の恋の命日。
あれからたくさんの時間が過ぎた。
今では明日には浮上できる。
きっといつかは乗り越えられる。
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by id-from-bc | 2006-06-02 22:37 | 想い出話

母の教え


約8年という長い闘病生活の末に父が他界したのは私が小学4年生の頃だった。

物心ついた時から、私の周りには大人がいた。
もちろん保育所や小学校にいる間は同世代の子供と一緒にいたけど、一歩学校から出てしまうと私の周りにはほとんどといっていいほど大人しかいなかった。
そんな環境にいた為か、私はいろんな大人に会って、いろんな事を考えて、いろんな事を理解するようになっていた。
なのに、ある大人たちは私が同じ部屋にいても『子供には分からないだろう』と思ったのか、父と母についての事やその他のいずれにしても楽しい気分では聞けないような話をよく興味本位でしゃべっていた。
私は内容を理解していた。
その人たちの話が聞こえる度に嫌な気分になったけど、私は周りの大人がするようにその人たちの前では気持ちとは違う表情を浮かべていつもその場をやり過ごしていた。
多分当時の私は子供のくせにその自覚を持てずに精一杯の背伸びで大人になったつもりの、どうしようもなく『いびつな子供』だったのだと思う。
親に迷惑をかけまいと言いたい事も言うべき事も言わずに『優等生』を気取って本当に可愛げのない子供だった。
そして私が小学4年生の秋、父が他界した。
それまでは父に向けられていた母の視線が全て私に注がれるようになった。

さぁ、困った。

自分の感情を表に出さずに生きてきたしっぺ返しか父を失った悲しみですら素直に表現できずにいた私は、母が自分を見てくれた事が確かに嬉しかったはずなのに、それをどう受け止めればいいのか、それにどう返していいのかが分からなかった。
私は母のように『それまで』と『これから』を区別する事ができなかった。
それからの母は私の勉強の仕方や友人との付き合い方にまで事細かに構ってくるようになり、私は戸惑いのあまり一時は母の言う事を聞き入れる事さえできなくなった。

ある日、母が私に言った。
『私は自分に学がなくて苦労した。だからあんたは賢くなり。賢い人間がそうでないふりはできるけど、そうでない人間に賢いふりはできひんから』

『今は遊ぶべき時ではない。大人になったらいつでも遊べるから今は遊びよりも大切な事をしなさい』
『とにかく大学は出なさい。そうすればたくさんの選択肢の中から進む道を選べるはずだから』
とにかく勉強に関する事はたくさん言われた。
後は付き合う友人についてもあれこれ言われた。
正直私は母の言葉が全て正しいとは思わなかった。
自分の意見を言えるようになってからは、『それは違う』と思った時には徹底的に母と何時間でも言い合いをして、それでも母に押し切られそうになった時は『ハンストする天照大神』になって自分の主張を訴え続けた。
思えばお互い若かった。
それからたくさんの時が過ぎ、私たちは昔のように必死に生きていないからか、平穏な生活で『平和ボケ』になってしまったからか、今ではすっかりゆる~い(笑)母娘になってしまった。
『あの頃』の私たちが『今』の私たちを見たらどう思うだろう?
そんな事を最近ではよく考える。

かつて『ああだ、こうだ』と私の生き方にあれこれと構ってきた母。
今にして思えば母には母なりの考えがあって、私には私なりの考えがあった。
正直今でも私は当時の母の言葉が全て正しいとは思わない。
けど、全てが間違いだったとも思わない。
なぜならその言葉の根底には確かに『娘への思い』があったのだと理解できるから。

『賢い人間がそうでないふりはできるけど、そうでない人間に賢いふりはできひんから』

甘えようと思えば甘える事ができるけどむやみに甘えない人間と、甘えられない人間とは違う。
泣こうと思えば泣く事ができるけどむやみに泣かない人間と、泣けない人間とは違う。
深い読みをすると、いろんな事に当てはまる。
当時の母がそれを思って言ったのかは謎だけど、いずれにしても当時の私は『そうでない人間』だった。
今でも私は『賢い人間』ではないけど、もう『そうでない人間』ではないと思う。
今でも『馬鹿をする』事は嫌いだけど、『馬鹿になる』事は楽しめるようになった。
今年はもっと『馬鹿になる』。
けど、時々ホントに天然で馬鹿をした時や、馬鹿になりすぎて見苦しかったりした時は、どなたか私を止めて下さい。
できれば優しく止めて下さい。
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by id-from-bc | 2006-01-06 23:57 | 想い出話

彼氏と彼女と観覧車 その2


あれは多分2,3年前の今頃。
なぜかたまたま天保山(正確には海遊館のマーケットプレース)に行っていた私は友人(イオさん)の『(観覧車に)乗ってみぃひん?』という言葉に賛同し、観覧車に乗る事にした。
いつぞやエライ目にあった梅田の観覧車とは対照的に、その観覧車は並べばすぐに乗れそうな雰囲気だった。
私たちの前には一組のカップルがいた。
時刻は良い子はお家に帰る頃合の午後7時だというのに、見るからにティーンエイジャーのカップルがいた。
カップルが観覧車に乗った。
その後続の観覧車に私たちが乗った。

『彼氏と彼女と観覧車』→『てっぺんでちゅー』。
世の中に蔓延していると言うこの図式が正しいのかどうか、確認できるチャンスだと思った。

高所恐怖症で観覧車ではどうしても真下を見る事ができない私は、その事実を大義名分に、少し上を見上げる形で前の観覧車をじっと見ていた。
すると程なくして、
『何見てんのん?』
とイオさんが言った。
私が『何』を見ているのか知っていて聞いてきた。
バレたからには仕方ない!
かくなる上は正直に話そう。
「いや~、てっぺんでちゅーするんかなぁと思って」
『……』
イオさんが沈黙した。

イオさん、ごめんよ。
どうしても気になるのさ。
そこのカップルもごめんよ。
どうしても気になるのさ。

若い二人は向かい合って座っているらしく、こちら側からは彼女の後ろ姿しか見えなかった。
そして観覧車が4分の1ほど回った頃……
「あ、彼氏が彼女と並んだ……」
彼女の隣に彼氏の後ろ姿が並んだ。
「なぁ、イオさん。ちゅーするんかなぁ?」
『知らんわ』
私たちがそんな会話をしていると彼氏が彼女の肩を抱いた。
「……するんかなぁ?」
『……するんとちゃう?』
彼氏と彼女はみつめあい、二人の観覧車がてっぺんに到着した時、私とイオさんは同時に叫んだ。

したーーーーー! (お馬鹿な大人ですみません)

まさか後ろの観覧車から見られているとは思っていない若人たちは、私たちの観覧車とその次の観覧車がてっぺんを通過するまでそのままでいた。
そして二人が離れた瞬間、見るべきものを失った私はやっと気づいた。
「やっぱり下は怖くて見られへ~ん!」 ←筋金入りの高所恐怖症



『彼氏と彼女と観覧車』→『てっぺんでちゅー』。
伴竹リサーチによると、どうやらこの図式は100%成立するようです。 (1組中1組で成立の為)
個人的には『人様の迷惑にならなければ好きな時にしたらええがな』とは思うのですが、『観覧車のてっぺん』にこだわりたいという方もいるようで……。
そこで、こだわり派の方々にお願いです♪
望まないあいのりになったからと言って、小声ででもあいのり相手に『どっか行ってくれたらいいのにぃ』とは言わないで下さいね。
言われた側は結構へこみます♪
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by id-from-bc | 2005-12-19 23:16 | 想い出話

彼氏と彼女と観覧車 その1


とあるバラエティ番組で男性タレントが言っていた。
『やっぱり連想する』――と。
私はそんな経験がないから、昔はそんな事も連想できずに生きていた。



あれは梅田の某H○Pに観覧車ができたばかりの頃。
なぜかたまたま梅田に出ていた私は友人(イオさん)の『(観覧車に)乗ってみたい』という言葉に賛同し、観覧車に乗る事にした。
今にして思えば愚かな私たちは『できたばかり』という言葉の威力を考慮しないまま観覧車の搭乗(?)待ちの列に並び、チケットを購入してしまった。
そして悲劇は起きた。

『あいのりでお願いします』
係員がにこやかに言った。

混んでいるから『あいのり』。
のるのはピンクのワゴンじゃなくて観覧車なのに『あいのり』。
のり込むのは恋愛しにきた若者じゃなくて、私たち親友コンビとすでに成立しているカップルなのに『あいのり』。

正直、『えっ』と思ったが階下の長い観覧車待ちの列を思って私たちは黙ってカップルとあいのりした。
すると扉が閉まってそうそうにカップルの彼女が、ミニスカートに茶髪の巻き毛の目元がバンコラン少佐仕様の彼女が、『二人で乗りたかった~』を甘ったるい声で繰り返し、対する彼氏は困った顔で彼女の顔を見つめていた。

私は思った。
私たちだって二人で乗りたかった~♪

時間が経つと彼女の言葉が『二人になりた~い』に変わった。

そりゃ無理でしょう。

ついに彼女は小声で『どっか行ってくれたらいいのにぃ』とまで言った。

しっかり聞こえてるし!
この高さで私たちにここから退出せよと?
ここにいるのが私たちだったからいいようなものの、私たちのどちらか一人が今一人の私の親友だったとしたら大変ですぜ。
ぼそりと一生トラウマになるような一言を呟かれるか、眼光びぃむで永遠に黙らされるか、さもなくば……書けません。(笑)

そして観覧車は回り、扉が開くなり彼氏と彼女は去っていった。
こうして地獄の(?)約14分は終了した……。



「それにしてもさっきの彼女、何もあんなワガママ言わんでもいいのになぁ」
私が思ったままを口にした時、イオさんが冷静にこんな事を言った。
『てっぺんでちゅーしたかったんちゃう?』

ソウダッタンデスカ!
それはそれは気づきませんで。
そうならオネーサンたちが悪かった……のか?
けど……

「やっぱりカップルって観覧車のてっぺんでちゅーするもんなん?」
やはり私は思ったままを口にした。
『そういう事』は物語の中だけの世界(?)かと思っていた。
落としたハンカチを拾ってくれた殿方と恋に落ちるとか、出会い頭にぶつかった殿方と荷物が入れ替わったのをきっかけに関わり合いを持つようになるとか……オキマリだけど、現実ではないと思っていた。
けど……
『連想はするやろ、普通』
とイオさんが言った。
そしてイオさんはこうも続ける。
『ほんまにするかどうかは知らんけど』



『彼氏と彼女と観覧車』→『てっぺんでちゅー』。
普通はそんな想像が働くらしい。
かと言って、それが『事実になる』かどうかは謎だった。
そう、あの日までは……。

そんなこんなで『その2』に続く! (恐らく日常ネタがきれた時に)
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by id-from-bc | 2005-12-16 23:54 | 想い出話

その女、○○につき……


弁当箱を洗おうと台所に立ったら、昨日までちょりっとしか残ってなかった食器用洗剤が満タン(?)になっていた。

私の母は、良く言えば『おおらか』な女性。
悪く言えば角がたつしキリがないので、正確に言うなれば『大雑把』な女性。
どれくらい大雑把かと言うと、かつて彼女は水炊きに入れるエノキを完全に袋から出さないまま土のついた部分を切って鍋に放り込み、私は危うくエノキに付着したまま一緒に煮込まれたビニールの切れ端を食べそうになった。
見るからに良く洗わなくてはならないサニーレタスを彼女は水をかけ流しただけで食卓に並べ、かけたドレッシングに大量の虫が泳いでいて私は以来家でサニーレタスを食べられなくなった。
冷凍庫から賞味期限が昭和時代のブラックタイガーを私が発掘した時も、野菜室からいたんだ野菜の汁を吸ってふやけてドロドロになったスルメを私が発見した時も、彼女は笑って『死なへん×2』と言い切ってしまう。
とにかく、時として彼女は私の精神衛生上よろしくない存在になるという事実は否定できない。
一生の内で基本的に出会う事はないだろうヒットマンと比べても、私の中で彼女はそれ以上に危険な存在には違いない。

いつぞや、やはり弁当箱を洗おうと台所に立ったら、前日までちょりっとしか残ってなかった食器用洗剤が満タンになっていた事がある。
その時、私はまず洗剤の匂いに違和感を覚えた。
が、気のせいだと自分に言い聞かせて私は食器を洗い、洗い終わって更なる違和感をひしひしと感じた。
ふと台所の片隅を見ると、詰め替え用洗剤の袋が中途半端に開いていた。
誰の目にも最近それの中身を容器に移し替えた事は明らかだった。
私はその袋を手に取って愕然とした。
『マイ○ット』!
それは『マ○ペット』だったのだ!
食器用洗剤ではなく、住居用洗剤の!
確かに油汚れを落としはするけど、食器ではなく換気扇とかの!
道理で手と食器がイヤにキュッキュキュッキュすると思ったさ……。

母にタイトルをつけるとすれば『その女、大雑把につき……』。
本当に、時としてものすごく危険な女性で自覚がないからタチが悪い。

昔の記憶がよみがえって不安になった。
私は恐る恐る洗剤の容器に鼻を近づけてみる。
ひたすら嗅いで考える。
……うーん……微妙……。
そして台所を見渡し、『燃えないゴミ』の袋の中に中身の入っていない食器用洗剤の容器を発見し、心の底からホッとする。

こんな事でホッとする私って、洗剤の匂いを必死で嗅ぎ分けようとする私って……ものすごーく小さい人間です、ハイ。
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by id-from-bc | 2005-12-13 23:58 | 想い出話

今日は木曜日


という事で、例によって例の如く、ムーンライト・ブレイク木曜のTAMさんから質問(?)メールが来た。
今日のお題は
『怒りやイライラが最高潮に達した時に思わず妄想してしまう、あなたの「一度はやってみたい究極の憂さ晴らし」をこっそり教えてくださいな♪』
だった。
ラジオで発表しちゃうのに『こっそり』も何もないような……。



その昔、私が女学生だった頃、正確にいうなれば女子高生だった頃の事だ。
『何年前?』みたいな質問には一切答えられないので、この日記を読んでいる人はそんな事を考えずにこのまま一気に読み続けて欲しい。
当時の私の昼食は学食のコロッケカレーかカレーうどんを全体の4割とするなれば、後の4割はパンだった。 (残る2割はおにぎり♪)
三大主食の順をごはん→麺類→パンとしている私が、当時は何故だかそんな生活を送っていた。
多分おかしかった。
そんな事はおいておいて、さらに突っ込んだ事をいうなら、パンの場合は大抵サンドイッチか惣菜パンを買っていた。
いわゆる『食事としてのパン』だ。
これはまだ理解できる。
けど、時々、私は何をとち狂ったか甘いパンを買う事があった。
ごはんに甘いパンを買う事があった。
三時でもないのに甘いパンを買う事があった。
育ち盛りでがっつり食べたい年頃にもかかわらず甘いパンを――! (以下省略)
理由は分かっている。
恐らく『見た目』にこだわっていた。

通っていたのが女子高だったからか、私の周りの女の子たちはある意味とってものびのび学生生活を送っていた。
けど、時々『これではいかん』と思うのか、妙に『女の子』を意識して過ごす瞬間があって、そんな時に登場するのが『レースやシフォンのリボン』だとか『お上品なサイズの缶に入った飲み物』だとかパンだった。
それもメルヒェン(笑)なパンで、『焼きそばパンの中身を焼きそばじゃなくて真っ白なホイップクリームにして真ん中には見るからに体に悪そうな毒々しいピンクのチェリーが乗ってるの』や『シンデレラのかぼちゃの馬車をかぼちゃとチョコでこさえたようなケーキの手前のパン』とか。

お昼ごはんに味も見た目もアマアマのパンとジュース……。

私はそこまではできなかった。
だから私の甘いパンは『サンライズ』という名前で売られていたメロンパンどまり。
おいしいパンではあったけど、お昼がそれと『シャッセ(現在放送中のドラマ『鬼嫁日記』で鬼嫁を演じるあの人が宣伝していた微炭酸飲料)』ではどうしても食べた気にはなれず……。
そして私は高校を卒業してから、お昼にメロンパンを食べなくなった。
私的に、やっぱりメロンパンはもっと違う時に食べるべきだと思ったからだ。



私は今日のTAMさんからの質問にこんな返信をした。

やろうと思えばいつでもできるけど、諸々の事情により絶対にできない贅沢をする。
例えば…『気が済むまでメロンパンのかたい部分だけを食す』!
太る(身体的事情)とか、やわらかい部分がもったいない(精神的?事情)とかを考えられなくなるまで追い詰められた時には是非一度やってみたいと思っています。
特にメロンパンが死ぬほど好きという訳ではありませんが。



やっぱり私的に甘いパンは3時かストレス発散時に食したい。
そういえば最近見かけないけど『シャッセ』ってまだ売ってるのかな?
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by id-from-bc | 2005-12-08 23:24 | 想い出話